3.11を忘れない…
2015年03月11日 (水) | 編集 |

今日は一日中、心がざわついていました

頭は4年前の「あの日」でいっぱいでした


4年前の妙に春めいていた日
仕事が休みで、ちょっと離れた所に
用事があったため、車ではなく
「そうだ、モノレールで行ってみよう!」って
思いついたのです

千葉市のモノレールに乗るのは
初めてでした

モノレールの車窓から、
春を感じてみたいなあって気持ちでした

確か、二つ目の駅を出た後、
車内がざわついた雰囲気になり
三つ目の駅にモノレールが滑り込みました

でも、車体がホームにガツン、ガツンと
ぶつかり、とても怖くて降りれない状況でした

若い人以外は、皆足がすくんで動けず
車内にただ取り残されていました

揺れが収まったころ、やっとホームに
降りたのですが、大きな余震が来て
駅舎自体が大きな音を立てて揺れ
窓から見た景色も大きく揺れていました

これまで経験したことがない、
何かとてつもないことが起きているのはわかりました

1時間か2時間かかけて
歩いて自宅に戻り、テレビをつけると
東北の様子が映し出され…

それからはテレビにくぎ付けでした。。

ものすごい津波が押し寄せ、
家も車も飲み込んでいく映像を見ながらも、

「みんな、もう避難しているはずだ」
って言い聞かせていました

海外の友人が心配して☎をしてきても

「日本人は地震に慣れている。
訓練もしているから、みんな避難している
はずだよ。死者なんていないよ」

なんて、のんきなことを言ってました

そう思いたかったんだと思います


そして、夜にかけて、死者数が増え続け…

それだけでもショックだったのに

福島第一原発の電源喪失
そして水蒸気爆発…

住民のあわただしい避難…

残してきたペットや牛を心配する人たち…


すぐにでも現地に行きたかったけど
道路は閉鎖
大きな余震も続き

やっと現地に行けたのが
5月の初旬でした


とにかく行けるところまで行こうと思い
郡山方面から288号をひたすら走り
今は許可証なしでは通れなくなった
浪江町の津島地区まで行きました

犬の鳴き声はしないか
猫は残されていないか
一軒一軒見て回りました

今では高線量のために入れない所でした


つながれたままの犬

津島犬


飢えた猫

津島猫


牛舎につながれたままの牛

津島牛


当時はそれはもうたくさんの動物が
残されていました


無我夢中で餌を、水をあげました

あの時はただそれしかできなかった。。


あの日から今日まで
私はずっと福島の被災地に通い続けています

最初はとにかく飢えている動物に
餌をあげるため

それから、元の飼い主を探したり
新しい飼い主を探してあげるため

そして、被災猫2世、3世が産まれるなか
TNRの必要を痛感し
大規模なTNRを企画しました

被災地でのTNRなど初めてだったため
何もかも手探りでした

でも、素晴らしい獣医師や仲間との
出会いによって、かなりの数の犬猫に
避妊去勢手術を施すことができました

本当に寝る時間を惜しんで準備しました

何も抜かりのないよう

って言っても、抜かりだらけで
そんな私を仲間がフォローしてくれました

やっぱり寝る時間を惜しんで…


正直、このままいくと老後破産も
現実だなって思ったこともありました

でも、理解してくれる仲間や支援者様の
おかげで4年経った今も福島に通うことができています


いつ区切りをつければいいのか
区切りなんてつけられるのか

今はまだわかりません

でも、待っている動物がいる限り
ペットを探している人たちがいる限り

この活動を続けて行きたいと思っています

自分の思うまま、やりたいことをやっている
だけなので、
「応援してください」とは、
あまり声高には言えません

でも、福島の犬猫へのフードを私や
私の仲間に託したいと言ってくださる方が
いたら、喜んで運びますので、
どうぞ託してください

私たちは確実にあの子たちの元へと届けます!

そして、3.11をいつまでも忘れません…




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